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補足コメント(2003年11月15日記)


社会政策学会における労働研究

社会政策学会第104回大会発表論文
2002年5月26日、日本女子大学(目白)

遠藤公嗣(明治大学経営学部)
e-mail: endokosh@kisc.meiji.ac.jp


 遠藤の世代(1950年生)あたりまでは、労働研究者で社会政策学会に所属する者はかなり多く、その理論枠組としては労使関係論が大きな影響力を持っていた。しかし現在、遠藤より下の世代では、労働研究者で社会政策学会に所属する者は少ない。なぜ、そうなったのか。それは不可避で甘受すべきなのか。それとも、あたらしい研究世界を切り開くべきであり、また切り開ける可能性があるのか。これらを考察する。

1 現状を示す2つの指標

1−1 外形的状況
 社会政策学会は、他の諸学会と比較すると、労働研究者が所属する学会としてすでにメジャーでない。現在、名称に「労」字のある他学会(労働法学会をのぞく)が4つあり、労働研究者はそれらにも加入する。その中には、労働研究者の会員数および単年度加入者数ともに社会政策学会より多い学会もある(資料参照)。ところが社会政策学会では、労働研究者の加入が少ない状態がしばらく継続している。たとえば、2001年の新会員61名中で労働研究者は約20%にすぎないと推測される。他の多くは、社会保障・社会福祉・生活の研究者といってよい。
 メジャーでなくなった直接の理由は、社会政策学会でこそ行われるにふさわしい、すなわち、他学会では行われにくい労働研究とは何か、について社会政策学会で不明確化していることにあろう。社会政策学会の名称に「労」字はなく、「労」字のある学会以上に労働研究のユニークさがなければ、社会政策学会に労働研究者は結集しがたいにもかかわらず、である。

1−2 内容的状況
 社会政策学会に労働研究者が結集した1950年代の理由は、大河内一男「社会政策の経済理論」をめぐる論争、すなわち社会政策本質論争が契機となって学会が再建されたからであった。ところが現在、「社会政策の経済理論」のモジリのような書名『雇用政策の経済分析』(東京大学出版会、01)の刊行に、社会政策学会の影は薄い。執筆者の多くは新古典派経済学者ないし新古典派経済学に親近性を感じる研究者であるが、執筆者15人中で社会政策学会員は1人であるし、引用・言及された個人研究者84人中でも8人で、ごくわずかである。
 この現象が意味するのは、現在の社会政策学会の労働研究者と、現在の新古典派ないし親・新古典派的な「社会政策の経済理論」研究者とは、ほとんど関係がないことである。現在の新古典派ないし親・新古典派的な「社会政策の経済理論」研究者からいえば、依拠したり引用したりする対象としてはもちろんのこと、批判する対象としても、現在の社会政策学会に所属する多くの労働研究者は存在しないことになる。
 こうなった直接の理由は、1つには、社会政策学会の労働研究者は、「現行労働政策」そのものの研究が乏しいことである。今1つには、新古典派経済学への理解が乏しく、新古典派経済学的な議論との同化・協調もできないし、その説得力ある批判・切り結びもできないことである。

2 なぜそうなったか。1980年代半ばまでの歴史的回顧。

 学会間比較の視点で、社会政策学会の戦後再建以降の歴史を時期区分すると、つぎのように3期区分できよう(資料参照)。
 第1期 1950-70年前後まで(「労」字のない社会政策学会が労働研究者を独占した時期)
 第2期 1970-80年代(労働研究を明示的に掲げる他学会が登場した時期)
 第3期 1990年代以降(学会間競争の激化した時期、どの学会で口頭発表し学会誌に論文掲載するのが権威あり影響力あるのかの競争、の激化した時期)
 労働研究者の社会政策学会への加入が減少し、後述する諸問題が顕在化するのは、私見では、1980年代半ば以降と思う。それは上記の第2期後半であり、時期区分にそれなりに適合する。80年代半ばまでの時期に、社会政策学会労働研究者の間でつぎの諸事態が進行した。

2−1 労働研究における政策理論研究の衰退
 氏原正治郎「社会政策から労働問題へ」(1955)の呼びかけは、社会政策学会労働研究者にとって重要であった。社会政策本質論争ではマルクス経済学的抽象理論の検討がもっぱらであり、それが数年で行き詰まったところに、抽象理論の論争より実態調査の重視を、と氏原は呼びかけたのである。多くの社会政策学会労働研究者は呼びかけを「もっとも」と感じ、受け入れた。すなわち、社会政策本質論争は急速に終了した。
 しかし、その結果として、労働研究における「現行労働政策」を理論研究することの関心が希薄化した。このことは、「労働市場の不完全性」があるからこそ「政策対応」も必要となる、という制度学派労働研究にとっての、すなわち社会政策学会労働研究にとっての、もう1つの理論核心があいまい化することを意味し、現在からふりかえると、大きな問題点をなしたと思う。
社会政策本質論争にかわって盛んになったのは、労働の実態調査であった。これについての功罪は、遠藤はさらに深く考えてみたい。とりあえず気にかかることは、a)氏原を中心とした実態調査と、氏原以外を中心とした実態調査の両者を、同等に、かつ区別して、考察する必要があること、と b)両者もまた、下掲の2−2および2−3の事態の影響を多分に受けたことである。

2−2 集団的労使関係論における研究関心の狭隘化
 社会政策本質論争の後、社会政策学会における東京大学系および京都大学系の労働研究者が理論枠組として依拠したのは、集団的労使関係論、とりわけてもDunlopの集団的労使関係論であった。なお通常は、単に労使関係論と述べられるが、本論文では、議論を明確化するため、これを集団的労使関係論と述べる。また本論文は、どのような労働研究も労使関係論と呼ぶ通俗用語法をとっていないことに留意されたい。現在からふりかえると、集団的労使関係論はつぎの問題点を抱えていた。

a)研究対象の労働者像が無意識的に限定された。
 研究関心は「大企業の、製造業の、男性の、正規の、生産労働者」に事実上は集中した。「労働組合に組織された労働者」の中核はこれらの労働者であるから、集団的労使関係に研究関心を集中させると、研究対象の労働者像は、研究者の無意識のうちに限定され、決まってしまう。研究者は、限定されたことにすら、しばしば気づかなかった。
 結果として、他の労働者像は研究対象の外となった。もちろん研究者は、その存在を知っていたが、研究の中に位置づけられなかった。
b)集団的労使関係の歴史研究が過剰になった。
 歴史研究それ自体は重要であるが、労働の実態調査に比較すれば、それへの人的な研究資源の投下は過剰であったと思う。その理由の1つは、集団的労使関係論は理論枠組として「原論」的でなく(経済学派分類でいえば、集団的労使関係論は制度学派であるから強固な理論枠組はない)、「原論」にかわるものとして、歴史の研究が位置づけられたことであろう。
 結果として、現在についての研究関心が希薄化した。
c)形而上学的「理念」研究がさらに一部で加わった。
 集団的労使関係論の元来の理論枠組は機能論・システム論であり、その意味で唯物論的であった。ところが、その対極であるはずの形而上学的「理念」研究が、集団的労使関係論の一部で行われた。また、労働組合が機能しない企業側の一方的な労働条件決定でさえ、この理論枠組で考察しようとするのも、それは集団的労使関係論の絶対視を意味するから、形而上学的「理念」研究に含まれよう(「労使関係論フェティシズム」)。
 なぜなのか。歴史研究が形而上学的「理念」研究になりやすいのは、わからないわけではない。構造主義(フーコーやアルチュセール)など、流行思想の影響もあったであろう。しかし、それだけでないように思う。社会科学は西欧からの輸入学問であるという、明治以来の日本の社会科学の体質に関係するのではないか、と思う。いづれにしても、理由はもっと考えたい。
 結果として、現在についての唯物論的な研究関心が希薄化した。

2−3 理論枠組としてのマルクス経済学が衰退
 社会政策本質論争の後、マルクス的抽象理論で現実を即断する議論は減少していったが、上記の集団的労使関係論をとった研究者を含めて、マルクス経済学の影響はなお強かったというべきである。
 ところが、マルクス経済学のコア概念が日本経済の事実と不一致だったことは、マルクス経済学の影響力を衰退させるのに決定的であった。すなわち例えば、1955-73年の高度経済成長は「絶対的窮乏化」と不一致であった。また、その後の2度の石油危機は、マルクス経済学にとって「ようやく訪れたはずの資本主義の危機」であったはずなのに、「階級闘争」は激化せず、逆に、労使協力して危機を乗りこえる日本企業のパフォーマンスの良さが注目され、やはり不一致は目立った。
 結果として、社会政策学会労働研究者が依拠する理論枠組は不明確化した。
 なお留意しておいてよいことは、マルクス経済学への依拠を相対的にはなおも強く意識していたゆえに、結果としては、上記2−1と2−2の事情から、相対的には免れた研究関心もある。たとえば、「不安定雇用」「最低賃金制度」などへの研究関心である。現在からふりかえると、これらの研究関心は継承すべきことであろう。

3 衰退の顕在化 1980年代半ば以降

3−1 社会政策学会に加入する労働研究者の減少
 衰退のもっとも明確な顕在化は、社会政策学会に加入する院生レベルの労働研究者の絶対数が減少したことであった。遠藤は、80年代後半にそれを感じた。この頃以降の日本全体では、労働研究者は増加傾向にあったと思われる。大学院の増設等で、大学院生総数自体が全国的に増加したからである。しかし院生レベルの労働研究者は、その一部分しか社会政策学会に加入しなかった。たとえば、院生レベルの新古典派労働研究者はほとんど加入しなかった。
 この傾向は、90年代に学会間競争が激しくなると、さらに強まったと思われる。院生レベルの労働研究者の間では、研究成果発表の機会を求めるなど様々な理由から複数の労働研究学会へ加入することが普通となったが、社会政策学会への加入はそれほど選択されなかったように思われる。社会政策学会では、研究成果発表の機会が乏しい(機関誌にレフェリー付投稿制度がない、大会の自由論題に院生レベルが発表できる雰囲気が少ない)、とみなされたためである。
 また、たとえ院生レベルの労働研究者が社会政策学会に加入しても、社会政策学会を自分の第1順位学会と意識する者は減少したように思われる。たとえば、社会学分野や経営学分野を主に研究してきた者は、他学会を第1順位学会と意識する者が増加した、と想定できよう。理由は上記に同じである。
 この傾向が続く間も、労働研究者の加入の減少に比較すればであろうが、社会保障・社会福祉・生活の研究者の社会政策学会への加入者数はそれほど減少しなかったと思われる。結果として、後者の比率が社会政策学会の中で高まっていった。

3−2 小池和男「キャリア熟練論」「知的熟練論」への無関心ないし受容
 1980年代における日本の労働研究でもっとも影響力を持ったのは、小池和男の「キャリア熟練論」「知的熟練論」であった。小池理論は、労働研究の中でも影響力を持ったが、それ以外の研究分野および米国(あるいは、英語圏というべきか?新古典派経済学というべきか?)では、「圧倒的」といっても言い過ぎでない影響力であった。現在では、社会政策学会の労働研究者でも、小池理論の80年代における影響力を否定する者は多くないであろう。
 ところが当の80年代では、社会政策学会の労働研究者にそう理解されてなかったようである。一方では、相当な程度に、小池理論に対して無視ないし無関心であった。賛成でもなく反対でもなかった。例えば、86年春大会共通論題で小池は報告者の一人であったが、小池以外の報告者は小池理論にほとんど言及せず、ほぼ無視した。この評価は、当時における小池理論の大きな影響力を考慮すれば、適切であったかどうか疑問であった。なお、この後、小池は社会政策学会と疎遠になり、やがて90年代に退会した。むべなるかな、である。
 また他方では、小池理論に相当に賛成であった。例えば、小池77と小池91への『年報』掲載書評における高い評価である。この対応は、小池理論の大きな影響力を認識していたからともいえようが、小池理論の新古典派的性格を考慮すれば、社会政策学会の労働研究として疑問の残るところであった。
 そして、小池理論への本格的批判は、一部を除けば多くなかったように思う。
 このような対応であったのは、社会政策学会労働研究者の間で、その研究で依拠すべき理論枠組が不明確化していた、社会的に影響力ある理論が何かわからなくなっていた、結果であったと思う。

3−3 学会運営上の不適切
 衰退の結果は、学会運営上にもあらわれた。

あ)不毛な東西対立
 社会政策学会の運営をめぐって、東京幹事と関西を中心とした地方幹事の間で、いわば「東西対立」が80年代に深まった。その原因は様々であった。しかし、その一因として(もちろん全部でない)、学会の運営に責任を持つ幹事会とりわけ東京幹事が、労働研究が衰退しているにもかかわらず、それを認識した運営を行わなかったことを指摘できると思う。
 すなわち一方に、東京幹事による労働研究へのほぼ一辺倒の共通論題の企画と『年報』編集があった。春大会の企画は、学会の正式の大会企画として、名目は幹事会で実際は東京幹事のみで企画していたが、80年代いっぱいまでの毎年、例外なく労働研究が共通論題であり、それが『年報』の特集となったのである。他方、関西を中心とした地方幹事は、東京幹事による企画と編集に反発し、独自に秋大会の共通論題を企画し、独自に『叢書』を発刊し編集した。その結果として、80年代における秋大会の共通論題と『叢書』特集は、社会保障・社会福祉・生活研究と労働研究が半々となった。
 両者の企画内容を比較して今日から振り返ると、関西を中心とした地方幹事が東京幹事に反発した理由の一つは、社会保障・社会福祉・生活の研究が重視されないことであったと推測できる(もちろん、東西対立の理由はこれで全部でない)。別の言い方をすれば、労働研究の衰退を無意識的に感じ取っていたからともいえよう。ちなみに、秋大会は「研究大会」であって学会正式の大会でなく、『叢書』は学会正式の『年報』でないというのが、幹事会名目による東京幹事の見解であった。

い)ヨーロッパ労働経済学会への加入
 ヨーロッパ労働経済学会は1989年設立であり、設立直後に、社会政策学会は団体加入した。社会政策学会は国際関係が弱く、それを補うためであったと思う。
 しかし明白にも、ヨーロッパ労働経済学会は新古典派経済学を中心とする学会である。発表論文は、人的資本と情報非対称労働市場の研究でほぼ全てである。この学会に社会政策学会が団体加入する意味は、遠藤にわからない。とくに、同じくヨーロッパ中心の国際的な労働研究組織であって、マルクス経済学や制度学派経済学と親近性がつよい国際組織が存在する(例えば、1982年設立の国際労働過程会議、英国で春に年次開催、京谷栄二会員がときおり個人出席)ことを考慮すれば、なおさらである。新古典派経済学よりはマルクス経済学や制度学派経済学の方が、社会政策学会労働研究者に親しみがあろう。社会政策学会のヨーロッパ労働経済学会への団体加入が示したことは、社会政策学会の労働研究が理論的に衰退し、いかに「とんちんかん」になっているかを公表したことであったと思う。
 遠藤自身は、この団体加入を90年代初に知り、上記のことを当時の幹事に話したことがある。遠藤が96年に幹事に選出された後に知っったことは、社会政策学会は団体加入費を滞納しており、ヨーロッパ労働経済学会からの連絡が途絶えていることであった。遠藤は、滞納費を支払うのではなく、途絶えたままにすべきことを、すなわち脱退すべきことを主張した。そして、そうなった。

4 あたらしい研究世界へ

 社会政策学会における労働研究の衰退は甘受すべきなのか。すなわち、他学会が労働研究の中心となり、社会政策学会における労働研究はマイナーな分野になって、やがては消滅する危機が訪れるかもしれないことは不可避なのか。遠藤はそう思わない。

4−1 「労働問題」再認識の必要
 その最大の理由は、社会問題としての新しい「労働問題」が巨大化しつつあり、それらは社会政策学会の労働研究者が注目するにふさわしいことである。この事態を社会政策学会の労働研究者は再認識すべきである。ただし、きわめて重要なことは、再認識するには「新たな視点」が必要なことである。すなわち、
あ)社会政策学会労働研究者の従来からの視点「集団的労使関係論」そして「マルクス経済学」から相当に脱却しなければ「労働問題」は見えてこない。と同時に、
い)「新古典派経済学」の視点では、その理論の性格からして「労働問題」は認識困難なことも理解しなければならない。「前者が駄目なら後者の力を借りて」はうまくゆかないのである。
 社会問題としての新しい「労働問題」例と、「新たな視点」例は下記のとおりである(もちろん、これらが全部でない)。繰り返すが、「集団的労使関係論」「マルクス経済学」「新古典派経済学」は、下記の「労働問題」の多くを、または全部を苦手としている。これを銘記すべきである。

女性労働の諸問題(ジェンダー視点の不可欠、この問題は以下の諸問題に重複する)
パートタイマー・派遣労働・業務請負など非正規雇用(「正規」主義からの脱却の不可欠、あるいは  分断的労働市場の視点の不可欠)
外国人労働(「日本」主義からの脱却の不可欠)
障害者労働(「正規」主義からの脱却の不可欠。ちなみに世間では、社会政策学会の労働研究といえ  ば、こういうテーマの研究と思う人がいる。ところが、社会政策学会の論題になったことはこれ  まで皆無か?ちなみに、仕事能力とは何か、を考察するのに示唆的なテーマと思う。)
雇用差別(「雇用における公正」「同一価値労働同一賃金」視点の不可欠)
個別的労使紛争(集団的労使関係論の限界がもっとも顕示された事象。この事象は社会的には重視さ  れるのに、もっとも近いように見える集団的労使関係論は、認識にもっとも遠い!)
一般組合・非労働組合の労働運動NPO・そのネットワーク組織(同上。一般組合は労働組合である  が、集団的労使関係論ではほぼ無視されてきた。また、その存立できる理由は熟練で説明できな  い。私見では、一般組合は、非労働組合の労働運動NPO・そのネットワーク組織との連続性で  理解すべきである。)
解雇と失業(非正規雇用・非労働力化の意味への視点の不可欠)

 社会問題としての新しい「労働問題」テーマは、たとえば従事する労働研究者が少ないなど、問題についての「事実発見」そのものがきわめて不十分である。そして「事実発見」は、制度学派労働研究者の多い社会政策学会にふさわしいし、「新しい視点」が獲得できるならば実行可能でもある。また、社会政策学会は学際的な学会であるから、これらテーマについての学際的な研究成果発表アリーナになりうるかもしれない。それは望ましいことである。
 これらテーマを社会政策学会労働研究者が研究するにあたって、私見では、近年にすすめられた学会改革、とりわけ分科会の自由応募設定を可能にしたこと、が決定的に重要である。なぜならば第1に、「新しい視点」による社会問題としての新しい「労働問題」テーマの研究成果を自発的に発表したい会員グループに、その場がはじめて保証されたからである。共通論題は、その性格からして自発応募設定でなく、発表当事者しか理解しない最前線テーマを時宜に合わせて企画することは不可能である。また自由論題は、会員グループよる企画に合わない。遠藤と野村の本分科会が開催できることは、この点での改革の結果である。そして第2に、波及効果として、院生レベルの会員が自由論題で発表しやすくなったからである。この会員層を含んで、遠藤より下の世代の社会政策学会労働研究者には、これらテーマを研究する者が現在でも相対的には多いから、これらテーマの研究成果が社会政策学会で発表される機会がそれだけ広がったのである。
 もっとも私見では、これらテーマのうちのいくつかは、社会政策学会よりも、他の労働研究学会・組織の方が「労働問題」としての認識はすすんでいるかもしれない。別の言葉で厳しくいうと、これらの「労働問題」再認識は、社会政策学会にふさわしいにしても、なお、社会政策学会にもっともふさわしい労働研究というわけではない。

4−2 理論枠組の当面的な整備
 これら「労働問題」への「政策対応」を研究するのは、学会名称からして社会政策学会が、他のどの学会よりも、もっともふさわしいであろう。また、これら「労働問題」の「事実発見」は、「政策対応」の考察と関連させて行われるべきでもあろう。社会問題としての新しい「労働問題」であるからこそ、社会「政策」学会にふさわしく、「政策対応」は研究の念頭におかれるべきである。もちろん、個別研究にそれが明示的か非明示的かは別問題であろうが。
 「学会名称からして」にはそれなりの意味がある。
 社会政策は、あえて新古典派経済学風に定義すれば、「公共政策」とほぼ等しくなり、「市場の失敗」に介入して資源の最適配分に近づける政策、となろう。それは労働における社会政策にもあてはまる。そして、上記の「労働問題」はかなりのところ「(労働)市場の失敗」であり、しかも私見では、それは労働市場の不可避的な不完全性に起因している。
 ところで現在、新古典派の中でも市場原理主義的な労働研究が急速に影響力を増しつつある(そして、同じ新古典派でも小池「知的熟練論」の影響力が漸減(急減?)している)。この市場原理主義的な労働研究は、私見では、「(労働)市場の失敗」概念があいまいであり、それに目を閉じることを特徴とするように思う。このような状況下では、上記の「労働問題」への「政策対応」を研究するのは、社会政策学会労働研究者にとって緊急の課題となっているはずである。社会政策をあえて新古典派経済学風に定義したのは、このことを明示したいためである。
 なお「(労働)市場の失敗」は、制度学派経済学ないしは「集団的労使関係論」が想定してきた「労働市場の不完全性」と重複するところが少なくなく、マルクス経済学的にいえば「分離不可能な労働力を人間から分離して商品化すること」「賃金労働者の生活が資本の価値増殖運動に従属すること」等々と重複するところがあると、私は思っている。
 また「市場の失敗」を、個別経済主体の経済合理的な行動が社会全体に経済合理的な結果をもたらさないことと一般化すれば、それは学派を超えた経済学に特有の論理である(そして、経営学には存在しない論理である)。大河内「社会政策の経済理論」もその1つに数えられるし、この論理のうちに、それは現代化され普遍化されるべきであろう。
 もっとも、このように述べても、社会政策学会労働研究者が依拠すべき理論枠組が明快になるわけではない。前述のように「マルクス経済学」「新古典派経済学」とも視点として不十分ならば、社会政策学会労働研究者のとるべき視点は、いわば先祖帰りして「制度学派経済学」としかならないし、実際、これまでも相当程度にそうであった。ところが、制度学派経済学の理論枠組はそもそも非体系的で、それに依拠すれば「政策対応」を研究できる、というわけではない。
しかし、「政策対応」を研究する理論枠組を当面的にも整備することは、なおも必要である。私見では、下記の諸検討は、その手がかりとなるであろう(もちろん、これらで全部でない)。

あ)「(労働)市場の失敗」概念の制度学派的な再検討。
 とくに不完全情報に起因する「(労働)市場の失敗」概念と、制度学派が伝統的に想定してきた市場機能の不完全性との、重複と相違の確認はすべきである。「(労働)市場の失敗」概念があいまいな市場原理主義的な労働研究を批判するのに、この検討は重要であろう。
い)「公正」「正義」の社会科学的検討。
 「政策対応」における規範原理の研究である。日本の哲学・倫理学の主流は、実用的な規範原理の研究を邪道としてきたが、その負の影響は日本の社会科学全体に対して大きい。社会科学でも「社会通念」が「公正」基準であったりする一因は、これであろう。なお、このテーマならローマー『分配的正義の理論:経済学と倫理学の対話』(木鐸社、01)は必読と多くの人に助言されたが、そしてパラと見て遠藤もそう思うが、遠藤には難しい。悲しいことである。
う)政策介入によるのか、NPOなど非市場機構的対処によるのかの検討。
 「労働問題」対処に歴史的に重要であった労働組合は、NPOの元祖的組織であった。現在の個別的労使紛争では、労働組合が労働者の権利擁護に有効でないことは明白と思うが、私見では、非労働組合の労働運動NPO・そのネットワーク組織はなお有効と思われる。
え)労働政策における政策評価・行政評価の特徴。市場原理主義的な労働研究の批判に必要であろう。

5 結論「労働問題から社会政策へ」

 以上の遠藤の主張をまとめると、氏原正治郎「社会政策から労働問題へ」(1955)のスローガンを逆転させたスローガンとなる。すなわち現在、社会政策学会の労働研究者に必要な研究は、「労働問題から社会政策へ」の研究である。
 もちろん、その意味は氏原と異なる。すなわち「労働問題から」とは、「新たな視点」によるところの、社会問題としての新しい「労働問題」を再認識しよう、との意味である。そして「社会政策へ」とは、これら「労働問題」に対処する「社会政策」の提言と批判を行おう、との意味である。

(遠藤公嗣の参考文献)
遠藤公嗣[2002a]「技能の諸概念と人事査定」『(明治大学)経営論集』49巻1.2合併号。
遠藤公嗣[2002b]「日本化した奇妙な統計的差別論」『ポリティーク』3号。
遠藤公嗣[2002c]「書評 野村正實著『知的熟練論批判:小池和男における理論と実証』」
 『(東京大学)経済学論集』68巻2号、7月刊予定。
遠藤公嗣[2001a]「人事査定は公正か」
 野村正實・上井喜彦編『日本企業:理論と現実』(ミネルヴァ書房)所収。
遠藤公嗣[2001b]「統計的差別論の疑問」未公刊論文。
遠藤公嗣[2000a]「賃金」『大原社会問題研究所雑誌』501号。
遠藤公嗣[2000b]「労働基準法の国際的背景」『日本労働法学会誌』95号。
遠藤公嗣 [1999]『日本の人事査定』ミネルヴァ書房
遠藤公嗣[1997]「今日の賃金問題:社会政策学会第93回研究大会を振り返って」
 『大原社会問題研究所雑誌』461号。
遠藤公嗣 [1995]「労働組合と民主主義」
 中村政則・天川晃・尹健次・五十嵐武士編『戦後日本 占領と戦後改革 第4巻』(岩波書店)所収。

(資料)
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社会政策学会 法学を除く社会科学分野で最古学会、日本史教科書にのる唯一の学会
   国際関係は以下の諸学会に比較すると弱いほうである
設立1897 再建1950 ニュースレター創刊94 テーマ分科会自由応募99
会員982(01.10)
『社会政策学会誌』99よりレフェリー制導入 2誌完全統合・秋号にも投稿受付02

日本労使関係研究協会  JILとの深い関係、国際関係で最強(IIRA加盟用に設立した学会?)
設立とIIRA加盟68 社団化81 自由論題設定95 学術会議登録第17期(96)より
会員約330(01.12)
『日本労働研究雑誌』特別号(年1回刊)99より(同誌本号(月刊)は従来より投稿受付)
日本労務学会
設立1970 設立30周年国際シンポ00
  会員812(00.01) 労働研究者のおそらく最多が所属
    『日本労務学会誌』98よりレフェリー制導入 年2回刊 

日本労働社会学会 日本社会学会より分化(?)
設立1988(前身の労働社会学研究会の設立は82) 会員約250(00.10)
    設立時よりニュースレター刊  自由論題増加97
『日本労働社会学会年報』91より レフェリー制当然視 年1回刊
『労働社会学研究』99より レフェリー制当然視 年1回刊
労務理論学会 日本経営学会より分化(?)
    設立1991 会員約250(99.11)
『労務理論学会年報』00よりレフェリー制導入 年1回刊(01より市販化)
"Asian Business & Management" (Macmillan 02.4創刊予定)との協力関係
経営行動科学研究学会 行動科学を基盤とする 
設立1997(前身の経営行動科学研究会の設立は85) 会員約280(00.04)
『経営行動科学研究』86より レフェリー制当然視 年2回刊
機関誌最新(01.12)号は全文英文

日本経済学会 新古典派の労働経済学者はここに所属し、上記諸学会への所属は少ない。
    前身の日本経済学会の設立1934(?) 改組改称で理論経済学会49 
    学会合同で理論・計量経済学会68 現行に改称97   会員約2600(00)
    英文機関誌The Japanese Economic Review 95年より 年4回刊
    (前身の『季刊理論経済学』は1950年より レフェリー制当然視)
    『現代経済学の潮流   年』1995年度より
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