表紙写真のうんちく-2023年掲示-
2023年12月31日より掲示
左写真 Avianca航空(N765AVと思われる, Airbus A320-251N [A320neo]):カリフォルニア州サンフランシスコ国際空港
Avianca航空はコロンビアの航空会社だが、子会社がエクアドルやコスタリカなどにある。リバリーはAvianca航空も子会社も同じで、機首に書かれた国旗が違う。この機は、機体長や機首窓とウィングチップの形状からA320neoであるのは確かである。登録記号が明確に読み取れないが、N765AV と思われる。Avianca航空は1919年12月5日設立で、現存する航空会社としてはオランダのKLMオランダ航空に次いで世界で2番目に古い航空会社であり、南北アメリカ大陸においては最古の航空会社である。
A320は、1987年初飛行で、Airbus A320ファミリーの基本型である。長胴型がA321で、短胴型がA319とA318である。通称でneoとつくのが最新型である。2023年末までの総製造機数はファミリー全体で1万機を軽く超えていると思う。Airbus社はヨーロッパ共同の航空機製造会社で、旅客機製造が米国メーカーの寡占であることに対抗し、ヨーロッパ共同で1970年に設立された。現在では、米国ボーイング社に対抗する(2023年では全製造機数がわずかに上回るはず)メーカーに成長した。A320ファミリーは日本の航空会社も多数運航している。
サンフランシスコ国際空港から成田空港へ帰国時に、滑走路脇で撮影した。私の乗っている機体が停止して、N765AVが着陸してくるのを待っている間の撮影である。いくつかの偶然が一致しないと撮影できないシーンである。
右写真 United航空(N78004、Boeing777-224):カリフォルニア州サンフランシスコ国際空港
United航空は米国の3大航空会社の1つ。日本へも多数の便が飛んでいる。N78004は長距離便の専用機で、日本へもヨーロッパへも飛んでいる。もとContinental 航空が1998年に導入したが、2010年にContinental 航空とUnited航空は合併した。N78004は、Continental 航空機としても、日本へ飛んで来ている。
N765AVが着陸後、私の乗っている機体は滑走路に入った。その時に、並行している滑走路に、N78004が着陸した。それを撮影した。実は、左写真の右手後方にN78004が点で写っている。サンフランシスコ国際空港はUnited航空のハブなので、多数の離着陸がある。右写真は、さらに偶然が一致しないと撮影できないシーンである。
2023年12月23日より掲示
企業所有(N660PS, Diamond DA40): カリフォルニア州サンカルロス空港
Diamond DA40は軽飛行機メーカーのダイヤモンド社が1990年代初頭に開発した軽飛行機。この会社はオーストリアに本社がある。この会社は、もともとはモーターグライダーを製造していた。モーターグライダーとは、動力を持ったグライダーのことで、離陸できる機体(自力発航型)もある。モーターグライダー製造の技術をもとにDA40は設計されているので、D40はどことなくモーターグライダーに似ている。
サンカルロス空港は、サンフランシスコとサンノゼの中間あたりにサンカルロス市があるが、その市が管理している空港。滑走路は800mくらいしかない。正面建物の向こうはサンフランシスコ湾である。空港に定期航空便はなく、単発エンジンの小型機が発着している。訪問した日は、操縦訓練をしている数機の小型機が離着陸を繰り返していただけであった。米国は広いので、このような空港がたくさんある。
この空港に隣接して、ヒラー航空博物館(Hiller Aviation Museum)があり、そこを初めて訪問した。その博物館には中庭があって、中庭は空港の誘導路に接している。また中庭には、ヒコーキを見るための小さなデッキが作られていて、そこから撮影した。博物館内の撮影用に広角レンズしか持っていなかったので、すぐそばをN660PSが通ったにもかかわらず、小さくしか写せなかった。パイロットは手を振っているが、わからないだろう。
博物館は、スタンレー・ヒラーが設立した。彼は1924年生まれで、人生の前半は、ヘリコプターのような垂直離着陸機の開発に情熱を注いだ。いろいろな実験機・試作機があるが、唯一量産されたのは、1948年に型式証明をとったUH-12(軍用型はH-23)シリーズの小型ヘリコプターであった。同機は、1949年にカリフォルニアからニューヨークまで、ヘリコプターとして初めて飛行した。彼は1960年代に自分のヘリコプター製造会社を譲渡して経営から身をひき、その後は、もっぱら実業家として活躍した。業績不振の会社を引き受けて、業績を回復させるということを、数社で成功した。1998年に博物館をオープンし、自分は2006年に逝去した。
2023年11月21日より掲示
jetBlue 航空(N231JB, Embraer ERJ-190) : ボストン・ローガン国際空港(BOS)
jetBlue 航空は、格安航空会社(LCC)に分類されるが、座席間隔が広いとか、無料手荷物があるとか、通常のLCCよりもサービスがよい。また、その分だけ、料金も高めである。性格が中途半端でマズイのではないかと私は思うが、しかし実際は、成長している会社である。現在、300機近い機材を運航し、米国内便と外国便の両方がある。リバリーの特徴は、垂直尾翼に青を基調とした模様が描かれていることである。機体毎に違うが、同一模様の機がないわけではない。これを撮影した日に、空港で、同一模様の別機を実際に目にした。ボストン・ローガン国際空港はjetBlue 航空の重要なハブ空港になっているようで、専用ゲートの数は、かなり多かった。おそらく、一番多い航空会社ではないかと思う。
写真は、空港の中央駐車場の最上階からの撮影である。かつては撮影禁止の場所だったと思う。しかし現在は、事前に撮影許可申請書式をメールで警察に送っておくと許可書がすぐに返信されてきて、撮影できることになった。スマホで撮影許可書をすぐに提示できるようにしておくこと、という指示があった。しかし、結局、撮影中に警官が来たことがなく、提示することがなかった。ネット情報だと、わりと頻繁に警察が来るようなことが書かれていたが、ラッキーであった。撮影日は快晴で、空気も乾燥し澄んでいて、美しい写真を撮ることができた。写真奥に写っているボトルが並ぶような施設は、下水処理場とのことである。
Embraer ERJ-190は、ブラジルのエンブラエル社が製造している小型ジェット機シリーズの1機種である。シリーズ全体で2023年6月30日現在、1671機が生産されている。日本ではフジドリームエアラインズが運航している。受注残があるのでしばらく生産は続くが、すでに、全体を改良した新シリーズ(E2 シリーズ)の生産がはじまっているので、やがて生産終了となるだろう。
2023年10月21日より掲示
左写真 ドイツ空軍(ユーロファイター タイフーン): Royal International Air Tatto(RIAT)2023 英国・Fairford空軍基地で開催
RIATは世界最大規模の軍用機エアショーで、2023年は7月14.15.16日の開催であった。もっとも、有料入場日はショー本番前の7月11日からはじまり、ショー終了翌日の17日まである。ショーには世界中からおびただしい数の機体が飛来するが、その大半は地上展示のみである。これらの飛行中を撮影するには、到着時のみしかないので、これを目当てにマニアが集まり、数十年前から着陸地点は有料エリアとなり、売店も出ている。ショー終了翌日は、自国に帰還のため離陸する機体が、機体を傾けながらフライパスすることが多い。この撮影をめざすマニアも多い。左写真は、17日の撮影である。
左写真は、ドイツ空軍機にもかかわらず、イスラエル建国75年記念塗装をしており、イスラエル国旗が翼上に描かれている。他国の建国記念をえがく塗装は奇異ではあるが、ナチス・ドイツによる第二次世界大戦中のユダヤ人虐殺の歴史を思えば、アリである。そして、私が本文を記している10月21日は、中東では、イスラエル軍がガザ地区にまさに侵入しようとしている。私は複雑な気持ちである。
ユーロファイター タイフーンは、英国、ドイツ、イタリア、スペインの4ヶ国が国際共同開発の現役戦闘機。オーストリア空軍などでも使用されている。
右写真 デンマーク空軍(F16BM): 同じ17日の撮影である。いかに低く飛んでいるかがわかる。 この機体は、トゥルク(Turku)エアショー終了後の6月19日にフライパスした機体と同一である。このページを下の方にスクロールダウンして、「2023年7月29日より掲示」の写真を参照してほしい。
2023年10月5日より掲示
Nordica(ES-ACC, CRJ-900ER): ベルリン・ブランデンブルグ国際空港(BER)
Nordicaはエストニアの国営航空会社である。2015年にエストニアン・エアが倒産し、それを受けて設立された。所有機数は3機とも6機ともネット上ででてくるが正確さに欠ける。しかし、少数なのは間違いない。尾翼と、青白のグラデュエーションの個所に描かれているのは、トンボのシルエットである。美しいデザインである。
ベルリン・ブランデンブルグ国際空港は、ベルリン市の南部にあり、現在ではベルリン唯一の空港である。旧東ベルリン地区のシェーネフェルト国際空港を南側に拡張することで建設された。2006年建設開始だが、政治介入が原因のトラブルが続き、開港延期が繰り返され、実際の開港は2020年10月31日だった。総工費は当初予定の3倍以上になり、今後も様々な問題が出るかもしれない。撮影は駐車場ビル上階からだが、やがて撮影できなくなるだろう。理由は次のとおり。写真の左側外までターミナル2建物があり、滑走路の視界が遮られている。建物右側で滑走路が見とおせる画角は、現在でも広くない。ターミナル2建物の将来拡張は必至なので、拡張されれば、視界が遮られるであろうからである。写真の機首先の右に、旧シェーネフェルト国際空港のランプエリアと建物がある。空港用に再利用の予定だったが、2022年11月に永久に利用しないことが決まったとのこと。現在は、建物はウクライナ避難民のシェルターに使われているとのことである。機体後部の上に見える黒いものは、火災消火訓練用のダミー航空機である。
CRJシリーズはカナダのボンバルディア社が製造していたジェット旅客機で、シリーズ総数1945機をもって、2021年2月26日に製造を終了した。その半年前の2020年6月1日に、ボンバルディア社はCRJ事業を三菱重工業に売却した。CRJのカスタマーサポートは、現在は三菱重工業の子会社が担当している。このため現在では、機名をMitsubishi CRJ との呼び方もするようである。
2023年9月22日より掲示
個人所有(D-EQXL, Boeing-Stearman N2S-3): Stearman & Friends エアショー ドイツ・ベルリン郊外の Bienenfarm 飛行場で開催
1日おくれて7月1日(土)にベルリンに到着し、7月2日(日)のみ、エアショー見物に出かけた。会場は、正式の飛行場ではあるものの、860mの草地滑走路のみである。滑走路はドイツ鉄道の線路と並行している。私は1日遅れてきたのだが、幸か不幸か、撮影にあまり影響がなかった。というのは、6月30日と7月1日は天候が非常にわるく、飛来予定機(200機以上と聞いていた)の多数がキャンセルになり、7月2日の会場には30-40機程度しかいなかったからである。このような小型プロペラ機のみのエアショーは、アマチュアのマニアが自分の所有機を自ら操縦して飛来し、それを観客に「みせびらかす」ことが、ショーの重要な構成要素である。しかし悪天候だと、彼らは安全性と機体保護を優先するので、飛行しない。その結果の、閑散であった。
Boeing-Stearman N2Sシリーズは、1930年代半ばから第二次世界大戦中にかけての米国海軍の初級練習機であり、ほぼ同時期にほぼ同型がPT-13とかPT-17シリーズとして、米国陸軍の初級練習機として使用された。合計1万機以上が製造された。頑丈で、操縦と整備がしやすいので、現在でも世界中で多数(100機は軽く越えるはず)が飛行可能状態である。現在の航空規則に合致するように部品や計器などを改修し、完全な飛行可能状態で、2019年に10万USドル(1500万日本円)以下でマニア間で取引されていたという。ちなみに、牧草地(ヨーロッパには多数ある)に駐機すれば駐機代はほぼ無料であり、整備はできる限り自分でやるというのが、アマチュア所有者の通例である。
エアショーでのこの機は、遊覧飛行に使われることが多いと思う。後席がパイロットで前席が客である。Stearman & Friends エアショーでは、この機が数機いて、もっぱら遊覧飛行を繰り返していた。他の機の飛行は少なかった。観客としては面白くなかった。
この機はStearmanが通称であるが、Stearmanとは、実は、この機を1930年代前半に開発製造した会社の名前である。この会社は1939年にBoeingに買収されて、Boeing-Stearman となった。1941年の日米開戦によって、この機は大増産されることになった。Boeingは大戦中は、B29など4発大型爆撃機のメーカーとして、大戦後は大型ジェット旅客機のメーカーとして有名になる。この機は、Boeingが製造した最後の小型機である。
23年9月11日より掲示
Presidential Flight (A6-PFE, Boeing 787-9 Dreamliner): ジュネーブ・コアントラン国際空港(GVA)
ヘルシンキからジュネーブに飛んで、ILOの1945-50年代の文書をみた(遊びだけでなく、研究もしている。誤解なきように!)。 効率よく文書を見ることができたので、最後の日はILOでなく、空港に出かけて、ヒコーキ写真を撮った。前日まで気づかなかったのだが、空港ビル最上階に、柵も金網もない広い展望デッキが2022年にできあがっていた。展望デッキに行くには、係員がいるゲートでチェックがあり、空港のチェックインと同じ荷物スキャンがあるが、デッキに出ると、展望は広くひらけ、トイレも売店もある快適なところだった。左の写真はデッキからの撮影である。垂直尾翼の右の白いビルの前に、4頭の牛が小さく写っている。
デッキに地元のマニアがいて、話をした。なんと、私と同じく、大学を1年前に退職した元教員であった。クルマで1時間の○○というところに住んでいて、良い展望デッキができたこともあって、退職後は、よく来ている、とのことであった。彼は、ニコンのミラーレス一眼と専用望遠レンズを買ったばかりといって、そこからカメラ談義がはじまった。というのは、私のカメラも、ニコンだったからである。彼は1970年代からニコンだけを使っている、とのことで、私も同様だったので、話が進んだ。近年の、とくにミラーレス化では、キャノンがニコンより使いやすさ(とくにカメラとレンズの重さと大きさ)でやや進んでいる、という点で意見が一致したが、彼は、悩んだ末、結局ニコンでカメラを更新した、長く使っているので、離れがたかった、とのことであった。私も、同様に悩み中で、彼と話しているときにはキャノンに傾いていたが、現在も、悩み中である。簡単に結論が出るように思えない。
Presidential Flightとは、アラブ首長国連邦の政府専用機を運航している組織である。民間企業なのか政府の部門なのか、よくわからない。A6-PFEの胴体には、United Arab Emirates と記されている。Boeing 787-9 Dreamlinerは、3機または4機(ネット情報では、どちらもあり得るように思われる)を運航している。GVAは政府専用機が多数飛来することで知られている。政府専用機の運航予定は事前広報されないのが普通なので、撮影できるとラッキーである。この日は、続けて、Presidential Flight (A6-PFC, Boeing 787-9 Dreamliner)も着陸した。
この日のこの頃は私は幸福だったが、「不幸」が忍び寄っていることに、私は気づかなかった。翌日、ジュネーブを離れるためにGVAに行ったところ、空港従業員のストライキで、大多数の便がキャンセルになっていた。私のベルリン行きの便(アムステルダム経由便、だから安い)もキャンセルだった。前夜のテレビのフランス語ニュースでは「スト決行」が報じられていたそうだが、私は見なかったので知らなかった。その日の出発は無理と判断して、出発したホテル(フランス領側である)に電話して、幸運にも1部屋空いていたので、確保した。午後4時前にはホテルに戻ったが、すっかり疲れた感じがした。
2023年9月3日より掲示
Finnair (OH-LXC, Airbus A320-214): ヘルシンキ・ヴァンター国際空港(HEL)
ヘルシンキを離れる日に、早めに空港に行き、チェックインし出国管理ゲートを過ぎた。ネット情報によれば、その後のエリアの2階にあたる部分に、オープンエアの席があり、そこの仕切り壁にある幅8.5cmの縦の隙間から、ガラス越しでなく、エプロンとランウェイのヒコーキの写真が撮影できるとあった。しかし、ヘルシンキに到着した日の空港の様子からは、ターミナルビルが大幅に改装された直後の感じがあった。ネット情報はおそらく古くなっていて、改装後に、オープンエアの席が残っているかどうかわからなかった。残っていればラッキーと思って、ゲート通過後にうろうろ歩いて探した。2階にあたる部分は連結されていなくて(レイアウト全体が凝り過ぎの設計と思った)、階段を登って降りてのくり返しであった。しかし、残っていた!
左の写真は、幅8.5cmの縦の隙間から撮ったものである。レンズを左右に振ることはほとんどできないので、離陸で機体が浮く瞬間の写真は、長くない撮影時間では、この機だけであった。しかも連写で、この1枚より前は、日光の角度が悪くて、機体のFinnairの文字に大きな白い横の光線スジが入ってしまっていた。入らなかったのは、この最後の1枚だけであった。結果として、機体の真横でとらえた写真になった。
OH-LXCは、2001年9月にFinnair に引き渡されてから、ずっとFinnair で飛んでいる。
2023年8月23日より掲示
Amapola Flyg (SE-LIO, Fokker 50): フィンランド・トゥルク空港(TKU)
Amapola Flygはスウェーデンの非常に小さな航空会社である。Wikipediaによると、2004年に郵便輸送で創業し、2018年から人員輸送をはじめ、2022年現在、Fokker 50を11機(人員用5機、貨物用6機)を保有する。ベース空港はストックホルムのアーランダ空港(ARN)である。特徴的なのは、路線先であって、スウェーデンとフィンランドの小さな都市の空港へ飛んでいる。TKUはその1つである。しかも路線の創設と廃止が頻繁なようである。
SE-LIOは1989年から飛び続けているFokker 50である。Fokker 50は、Fokker27Friendshipの改良版であって、エンジンナセルの違いで、私はかろうじて区別できる。Fokker 50は、中日本エアラインサービスによって、かつては日本でも運航されていた。中日本エアラインサービスのFokker 50は、その機首が赤く塗られていたので「赤鼻のポチ」がマニア間での愛称であった。
Fokker27も、全日空によって、かつて日本でも運航されていた。全日空は、1961年から、25機のFokker27(世界最多保有)によって、羽田空港と地方空港を結ぶ路線を次々と創設した。私が創設間もない岡山空港で見た(そして、私の写真が『航空情報』誌のコンテストに入賞した)のも、Fokker27であった。1973年までに25機全機が無事故で全日空から退役した。全日空での就航は、日本の高度経済成長期と完全に重なっていて、全日空では、Fokker27は同社躍進の功労機とされている。
トゥルク空港(TKU)を発着する定期航空便は、1日3-4便しかなかった。もっとも、空港がヒマだから、エアショーが開催できるともいえる。しかも、毎日便は皆無で、全便が、週あたり数便の運航であった。トゥルクは人口20万人の小都市(しかしフィンランド人口第3位の都市、人口第2位の都市はタンペレで人口25万人)である。そのうえトゥルクは、人口第1位のヘルシンキ(都市圏で250万人)からクルマで2時間の近さである。航空需要が小さいのは仕方がない。
余談: Flyg とのスウェーデン語の綴りに注意。 英語でfly、ドイツ語でflugにあたる。スウェーデン語は英語とドイツ語に似ているとよく言われるが、まさに、それを示している。なおフィンランド語は、となりのスウェーデン語ともロシア語ともまったく似ていない。フィンランド湾を挟んだ対岸のエストニア語とは類似性があるという。
2023年7月29日より掲示
デンマーク空軍(F16AMとF16BM): トゥルク(Turku)エアショー フィンランド・トゥルク空港(TKU)で開催
2023年6月17・18日開催のトゥルク(Turku)エアショーを見物した。ショー閉幕前日の16日から閉幕翌日の19日までの全4日が快晴だった。左の写真は、閉幕翌日の19日午前に、参加したデンマーク空軍の2機が帰還で離陸した後に、編隊を組んで戻ってきて、1機は機体を傾けながら低空で滑走路上をフライパスしたときのものである。ショー本番では、編隊飛行はなかった。19日午前の「観客」は、photo passを購入していた参加者のうちの10数人のみであったから、まことに有り難いものであった。
実は、このフライパスには前段の話がある。デンマーク空軍機の前に、スウェーデン空軍機3機が帰還の途につき、順に離陸した。3機が視野から消え「観客」はリラックスした。しばらくして突然、「観客」のおそらく英国人が、"Coming!"と大声で叫んだ。滑走路端に目を向けると、スウェーデン空軍機3機編隊が低空で滑走路上をフライパスしようとしていた。私は慌てて望遠レンズ付きカメラをつかんだが、長望遠ズームレンズ付きをつかんでしまったため、最短200mm(フルフレーム換算で300mm)であって、編隊の最接近時には、編隊が写真フレームからはみ出してしまった。それが右の写真である。ショー本番では、編隊飛行はなかった。アマチュアが軍用機の編隊飛行を撮影できる機会は極少である。貴重なチャンスに、まことに残念なことであった。私を含めて「観客」は、スウェーデン空軍機が編隊を組んで戻ってきたので、デンマーク空軍機もそうするのではないかと、離陸後も、その後を目で追っていた。だから、デンマーク空軍機のも編隊飛行を完全に写すことができた。(2023年8月21日に、デンマークからウクライナにF16が供与されるとのニュースが報道されたが、供与されるF16は、左の写真にあるF16AM型またはF16BM型のはずである)
概して言えば、エアショー閉幕翌日は、ヒコーキマニアが撮影するのに最適の日である。ショー本番よりも良い。参加機が帰還するために、次々と離陸していく。ショーでは飛行展示がなく、地上展示だけだった機体も、もちろん離陸する。しかも、その大多数は、離陸しても高度をとらず、低空で滑走路上をフライパスする。まさに撮影用である。さらに、いくつかの機は、機体を傾けて機体上面を見せたり、編隊飛行をする。トゥルクエアショーもそのとおりであった。
トゥルクエアショーは小規模ショーであったため、photo pass購入者用の撮影場所が誘導路や滑走路に著しく近かった。機体が数メートル先を移動することすらあった。広角レンズ!が本当に必要であった。エアショーで広角レンズの必要を感じたのは、トゥルクエアショーがはじめてであった。
注: 記憶間違いによる記述の誤りを修正し、また記述を追加した(2023年8月23日)
2023年6月12日より掲示
Wayraperú (ワイラペルー、OB-1821-P, Fokker 100): ホルヘ・チャベス(リマ)国際空港(LIM)
2006年9月に学会出席でペルーのリマに出かけ、帰国時に空港で撮影した。南米の空港周辺で個人単独で撮影することは安全上避けたほうがよいので、空港内でのわずかな機会だけの撮影だった。ホルヘ・チャベスとは、ペルー系フランス人で、航空黎明期の英雄パイロットの名である。彼は1910年に当時の飛行高度記録2652mを達成し、その直後、初のアルプス越え飛行に挑戦した。シンプロン峠越えに成功し、イタリアのドモドッソラ上空に達したが、着陸寸前に機体が破壊して墜落し、彼は重傷を負い、それが理由で4日後に死去した。ペルーでは、彼の名前は、航空関係の多くのところにつけられている。
WayraperúはLIMベースのペルー国内路線の航空会社だった。このページの掲示のための調べで初めて知ったのだが、2006年3月20日から11月27日までの8ヶ月間しか運航していなかった短命会社であった。ベンチャー企業の創設だったが、経営がダメだったらしい。機材はFokker 100を3機であった。したがって、この写真は貴重なものである。とくに、南米の多くの国では、空港周辺で撮影された航空機は少ない。そのため、マニアがネット上にupする写真も少ない。その点でも貴重なものである。
2023年5月24日より掲示
Northwest Airlink (N414XJ, Saab 340): ハーツフィールド・ジャクソン・アトランタ国際空港(ATL)
2010年1月に、米国学会出席の帰りに、空港で搭乗を待っている間に、窓越しに撮影。もともと赤色の機体が、夕日に照らされて、もっと赤くなっている。おまけに、向かいの壁が同色で塗装されているので、写真はますます赤みが強い。同色の塗装はおそらく意図的で、Northwest航空の発着便が集められているゲートであることを示しているだろう。学会出席のためのアトランタ訪問で、そうでなければ私が訪問することはまずなかったと思う。
Northwest Airlinkとは、大手航空会社であるNorthwest航空の地域ハブ路線を担っていることを示す。実際の運航は、Mesaba Airlinesが担っていた。N414XJは1997年にMesaba Airlinesに納入されて、同時に、Northwest Airlink として運航をはじめた。Northwest航空がデルタ航空に合併された後もN414XJは、Delta Connectionとしてなど、いくつかの会社で運航されつづけたが、2018年からカナダ籍C-GPCJとなり、カナダの会社で運航されている。
Saab 340はスウェーデンの小型旅客機で1983-99年に459機製造された。日本でも日本エアコミューターや海上保安庁で使用された。製造終了から24年経過しているので、現在はすでに、かなりの数が退役していると思われる。
2023年5月8日より掲示
左の機 個人所有 (G-AGJG, De Havilland DH-89A Dragon Rapide)
右の機 個人所有 (G-AEDU, De Havilland DH-90A Dragonfly)
:両機とも、英国サセックス州のShoreham空港で開催されたShoreham Airshow で撮影。
Dragon Rapide は1934-46年に英国で製造された複葉の小型近距離旅客機である。6-8人の乗客で、時速約250kmの低速で飛行する。しかし、操縦しやすい、飛行が安定している、整備しやすい、などの利点があり、1960年代まで旅客便に使用された。また英国だけでなく、多くの国で使用された。合計727機製造されたが、現在でも、10機程度は飛行可能状態だと思う。もっとも、老朽機なので、整備は大変であろうが。
Dragonflyは、Dragon Rapideによく似ていて、両機は姉妹機である。しかし、Dragonflyは、やや小型で、乗客4人である。機体を見て両機の違いがわかりやすいのは、側面の窓の数と長さである。Dragonflyは3枚で短いが、Dragon Rapideは4枚で長い。1936-38年に67機が製造されただけで、現在の飛行可能機は2機だけという。
Dragon Rapideは、英国の地方で開催されるところの、規模が大きくないAirshowでは、比較的よく見られると思う。Dragonflyも時には展示飛行に加わる。両機とも、短距離で草地からも離着陸できるし、低速でゆっくり飛行するので、観客が見やすい。また、規模が大きくないAirshowでは、全体として観客がやや(やや、である)少ない。とくに、滑走路の着陸側の端は撮影の適地だが、ここに観客が少なく、撮影が楽である。規模が大きくないAirshowでのんびりと撮影するのは、私は好みである。
2023年4月18日より掲示
Peach航空(JA817P, エアバスA320-214): 南ぬ島石垣空港(新石垣空港、ISG)
PeachはANA系の格安航空会社で、関西空港をベースとする。格安航空会社で日本最大と思う。おそらく、私はまだ搭乗したことがないはずである。
新石垣空港に、2022年6月22日昼にANA便で到着した。最大の訪問目的は、空港北端にあるカラ岳山頂に登って、着陸機を撮影することであった。5-7月の干潮時刻の南風時の午後に、快晴だと、背景の海の沖まで広がる珊瑚礁を背景にして、着陸機が撮影できる。とても美しい写真になり、しばしば宣伝広報写真に使われている。世界でもおそらく珍しい撮影ポイントである。定年退職後には撮影したいと長く思っていて、今回、これをめざした。幸い、当日は条件がすべてそろった。
当日、カラ岳の麓までレンタカーで来た。しかし、登山口のあるらしいところに、背丈以上の雑草があり、正確な登山口がわからない。相当に探したが、ハブの生息地なので、むやみに行くこともはばかられる。ネット上には、登山口がわからないので登山を断念した、との記事が多数あり、私も同じなのか、と思ってしまった。登山口を知る地元マニアの誰かが後から来るかもしれないと思い、とりあえずは麓から着陸機の写真を撮ることにして、撮影したのが掲示写真である。
1時間ほど撮影していたが、しだいに体調不良を感じはじめた。頭が少しボーっとして、目がややかすむ感じがしてきた。当日は猛暑日で、これは熱中症かもしれない、と思った。麓からレンタカーを30分以上は運転してホテルに行く必要があり、もう撮影を断念するのが良いと思って、切り上げた。チェックイン後のホテルの部屋で寝込み、遅い夕食の後も、そのまま寝て、ありがたくも翌朝には回復した。
私はもう若くないことを実感した。単独登頂はもちろん、同行者がいても、山頂で熱中症になると、本当に命に関わる、と思った。そのため、3泊4日間の石垣島滞在中に、快晴が続いたにもかかわらず、カラ岳登山を断念した。土曜日午後の帰りの便に搭乗して滑走路端まで来たとき、カラ岳の麓に3-4台の車が駐車しているのを見た。数人は登頂しているはずだった。残念、とは思ったが、再度挑戦する気力が無くなっているのも私は感じた。まさにトシである。
付記:やや露出オーバーな写真だが、その後、カメラ自体の露出機能が故障していることに気づき、修理した。
2023年3月17日より掲示
FlyPelican (VH-OTD, BAe Jetstream 32): オーストラリア、キャンベラ国際空港(CBR)
FlyPelicanは2015年設立で、オーストラリアの小さな地域航空会社である。前身の会社はAeropelicanで、1968年設立だったが、エンジンの定期点検を怠るなどで、2013年に当局から飛行停止を命令された。機材や従業員の削減などの後、少数のもと機材ともと従業員で設立されたのが、FlyPelicanだった。
FlyPelicanは2022年11月現在で、乗客19人乗りのBAe Jetstream 32を5機保有するだけのようである。シドニー国際空港にも飛んでいるが、多くはオーストラリア東部の小さな空港を結んでいる。日本からみると、珍しい航空会社であろう。
キャンベラ国際空港は、キャンベラの市街地に近い北東部にある。キャンベラは小さい町だが、首都であるため、コロナ禍が無ければ、空港にはそれなりに航空便数はあるはずである。空港ビルから200mくらいのところに、2階建ての駐車場があり、その上階からの撮影が有名スポットである。というのは、写真のように、駐車場に近く並行して誘導路があり、離陸のための機体がすぐそばをタキシングするからである。また、誘導路から100mほどの間隔で滑走路も並行しているので、着陸機もとりやすい。撮影当日の天気予報は、晴れ時々曇り、翌日の天気予報は、曇りで降雨は確率それなりにあり、だった。そこで、当日の方がマシと思い、撮影に出かけた。ところが実際の天気は、当日は終日ほぼ曇りで、翌日は快晴だった。翌日に撮影すべきであったが、予見できないのは仕方が無いところである。
実際の翌日は、国会議事堂を見学した。1927-1988年使用の旧国会議事堂のボランティア案内付きの館内ツアーが非常に面白かった。旧国会議事堂の議場は小さく、東京都議会議場のほうがはるかに大きい。テレビ等の後から追加のメディアの控え室は非常に狭く、1社あたり1椅子(ストールであって机なし)で10社程度が1部屋に入れられていた。当事者は大変だったと思う。新しい国会議事堂が必要になったのもうなずける。案内のボランティアは旧職員で、ゆっくりと明快な英語で話してくれて、私にはありがたかった。
2023年3月10日より掲示 (多忙などで70日も掲示なしだった)
QANTAS (VH-OQD, Spirit of Australia, Airbus A380-842): オーストラリア、シドニー国際空港(Kingsford Smith国際空港、SYD)
QANTASは、1920年にQueensland and Northern Territory Aerial Servicesの名称で設立された。その頭文字をとってQANTASである。Aerial Servicesが名称に含まれるので、カンタス航空と記すのは、少しおかしいかもしれない。世界的にも古参の航空会社である。また地理的状況から、長距離便が多いことで知られる。
シドニー国際空港は、南北に敷かれた並行滑走路を挟んで、西側に国際線ターミナルがあり、東側に国内線ターミナルがある。国際線ターミナルのそばに高い駐車ビルがあって、その最上階から、写真のような離陸を撮影することができる。この撮影は2022年11月である。有名な撮影スポットである。午後が完全な順光である。ビルの最上階の駐車場は空港従業員用で、従業員が休憩を取りながらヒコーキを眺めている。そのためと思うが、ヒコーキマニアによる写真撮影が大目に見られている。最上階に上がる車路のそばが撮影適地で、空港警備のパトロール車が頻繁に通過するが、声をかけられることはない。
シドニー国際空港は撮影適地が多く、多様な角度から撮影ができる空港として知られている。ヒコーキが通過する誘導路を見下ろすspotting専用の丘Shep's Moundもつくられている。市街地に囲まれていて、撮影適地のどこへもuberで簡単に行くことができる。しかし、残念なことに、新しいシドニー空港が市街地西部の遠くに建設中であって、それは数年後から稼働を始めるはずである。新空港稼働後に現在の空港がどう使われるのか、よく知らない。市街地に近く、離着陸コースは市街地上空を長く飛行するので、空港閉鎖もあり得ると思う。
A380は史上最大の4発旅客機だったが、2005年初飛行で251機の製造をもって、2021年に生産を終了した。成功した機体とはいえない。燃費のよい双発機の性能向上で、4発機が不利になってきたから、というのが重要な理由の一つである。QANTASは早くから運用していたが、2019年に受領まちの8機をキャンセルした。Covid-19の流行でたしか保有10機全機がストアされていたが、その後、次第に復帰していて、2024年までには全機が復帰するらしい。